比丘尼石

結界の原点

結界のタイプ

見立てることで発生する結界

両端の世界と、結界を形作る行為

理解する

畏れる

遠慮する

自制する

歩みを止める

禁足地

結界の原点

結界は元来は仏教用語であるとされる。密教寺院においてはじめて使われた。平安中期 「宇津保物語」には女人結界の文字があり、安楽庵策伝が編集した草紙「酩睡笑」にも同じ言葉がみられる。ここにいう女人結界とは、結界の最も古い使い方であり、女人禁制という意味である。密教寺院の境内、たとえば金剛峯寺のある高野山、延暦寺のある比叡山はどちらも女人結界の地として有名だ。

戸隠も上記の例に加えて、古くは女人禁制の地として知られていた。女性が不浄とみなされ、霊場の汚染や神の怒りを招くといういわれから結界が張られていたとされる。長野市の市街地から中社を経由し、旧越後道を進むと、女人堂の跡地に到達する。歴史的記録によれば、善光寺からの女性巡礼者は、この女人堂に参籠して読経・念仏を行い、さらに進むことなく引き返していたとのこと。

戸隠とは反対の柏原方面からの登ってくると、こちらもまた女人結界の碑が立つ分岐点に達する。やはり、昔はここから先へは女性が立ち入る事ができず、ここで引き返すか、左手に進路をとって奥社に足を踏み入れること無く、中社へ向かうよりほかになかったのだ。現地には、女人堂の跡地近くに碑が存在する。この碑は、越後道と奥社への参道の分岐点に位置しており、奥社への道はこの碑の先からは進めなかったそうだ。

ある秋の日に比丘尼が一人の従者とともに戸隠を訪れたという記録がある。この比丘尼は、女人禁制であることを知りながらも、この規則を破り、女人堂を越えて奥へと進んでいってしまった。従者は、この行動が神の怒りを招くことを恐れ、「ここで遥拝をして、早々に下山いたしましょう」と、比丘尼を引き止めようとしたが、彼女は聞き入れることなく、更に奥に進もうとしてしまった。すると今まで元気の良かった様子が一変する。ふと歩みを止めたかと思うとその場で倒れ込んでしまい、身体が硬直、やがて石へと変わっていってしまったというのだ。

現在も、女人堂の跡地から奥社方面へ進んだ場所に、比丘尼石と称される岩が存在する。この岩の正確な位置や特定は、長らくわかっていなかったのだが、近年地元の老人がいつもある岩にお供えをしていることがきっかけとなり、再び認知されるようになったんだとか。

文献における結界の例として最古ともいえる女人結界。教訓的な伝承となりたちをもつ、歴史的な結界であるといえるだろう。そしてこの単なる岩が立ち入りを禁ずるシンボルであると見立てられなければ結界の意味を成すことはない。人々のなかでのある種の約束をまもることで、初めて成り立つのである。この土地の歴史を語ると同時に、人々の心の「けじめ」を具象化したものこそがこの比丘尼石なのかもしれない。

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