敷居
またがないと、はいれない

結界のタイプ
手間をかけることで生まれる結界
両端の世界と、結界を形作る行為
世間
廊下
現世
公
足をあげる
またぐ
家
部屋
神域
私
またがないと、はいれない
「敷居が高い」という言葉がある。「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」という意味で本来使われてきたが、現在では「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」という意味としても使用されたりする。どちらにせよ、「なにか乗り越えなければいけない障害物」といったような扱いだ。
敷居は、柱間の上下に水平に取り付けて襖や障子などの建具をはめ込む枠のうち下部にあたる部材のこと。枠の上部にあたる鴨居とは対になっており、通常、建具を滑らせて開閉できる構造になっている。ふすまや障子など、横に滑らせて用いる建具の他にも、お寺の山門など、門などで左右に開くようなものであっても敷居が存在することも在る。
すこし地面の高さから出っ張っているので、つい段差間隔で踏んでしまいたくなってしまう。大きな門であれば、かなり立派な敷居もあるからなおさらである。しかし、これは決して踏んではいけない。かならず跨いて通行するのが習わしである。
この踏んではいけない理由には諸説ある。まずひとつ考えられる説としてその家や家人、主人の象徴として敷居があるということだ。敷居はその家の象徴であるから、それを踏むことは家や家人を踏みつけることと同じと考えるのである。
そしてなによりも、敷居が建具が開放された後にも、敷居が空間を2つに隔て、空間様式を決定しているからであると言える。敷居には世間と家、部屋と廊下、常世と神域などを隔てる結界なのだ。結界をまたぐという行為によって、その2つの性質の異なる世界を移動することになるのである。逆説的に言えば、こうした結界を踏むことは空間様式を崩すことになるため、踏んではいけないということだ。
またぐということは、すなわち少なからず普通に歩いている行為とは若干異なる性質をもった行為となる。いつもより若干足をあげ、足を引っ掛けることないように注意しながらわたるのである。程度に差はあるとはいえ、意識が伴う行為であることは間違いないであろう。もしかすると手間な行為であるとも言える。この手間と意識があるからこそ、敷居が気持ちの切り替えがなされるような仕組みとなっているのではないだろうか。自分が異なる世界に足を踏み入れた、その異なる世界に対してふさわしい心持ちに切り替える、この一連の変化のグラデーションを取り仕切るのが、敷居と呼ばれる結界なのである。