玄関

家の顔であり、コミュニティハブであり、変化の起点である

結界のタイプ

コミュニケーションを生む結界

両端の世界と、結界を形作る行為

象徴する

話す・挨拶する

靴を脱ぐ

一段上がる

亭主

家の顔であり、コミュニティハブであり、変化の起点である

「玄」とは物事の根本、枢極という意味をもつ。玄人や幽玄などの文字につかわれていることからも、奥が深い様を表している。つまりは「微妙で深遠な」ということに解釈される。

中国の思想家「老子」の説いた一節に、「玄之又玄、衆妙之門」という一文がある。これは「その玄のさらに玄、神秘を生み出すさらなる神秘からこの世の全ては生み出されている。」という訓えである。

玄関とは、いうなれば「玄妙なる道に進みいる端緒」という意味であると解釈できる。単なる建物の入り口・エントランスにではなく、深い哲理を含んだ貴重な遺産なのである。一節では室町時代に足利義政が東山御所で玄関を設けたのが玄関の最初といわれている。

その後時代が下るとともに玄関は格式や権力象徴の意味が加えられていく。身分が高い者のみ玄関を持つことを許された。禅宗の伝来とともに書院造りと呼ばれる建築様式が発達、その中で高い権威を表す玄関も構えられるようになった。依頼、玄関は武士の階級に応じた一つの格式として、明治のはじめ、士農工商の格差が廃止されるまで長い間、権力と格式のシンボルとなったのである。そのためか町内の揉め事などは、名主の屋敷の玄関で解決されたそうな。庶民にとって、玄関は重要で神聖な場所であったと言える。

現代ではあまり想像し難いが、古くは主人の公式行事・来客・対面のための表玄関と、家族のための内玄関、使用人や御用聞きのための勝手口と、家族でさえ玄関を分けて使うようになっていた。建物に入るというこれだけのために、多くの作法と儀式が存在していたことがわかる。

ある意味玄関はその家の顔であるとも言える。顔だからこそものを飾ったり、清潔に保ったり、そのような意識があるのではないだろうか。そして外の世界と内とをつなぐ接点としても機能するのである。先述した屋敷の玄関が裁判所になっていたという事例からも分かる通り、コミュニティのハブとしても存在していたのである。古い映画などを見ていると、玄関でお隣さんと話す様子だとか、客人をもてなす様子を見ることができる。近所付き合いの要でもあったのだ。

そしてなにより、靴を脱いで一段高いところに上がる、その一連の動作の末に家に入ることができる。コミュニケーションの場として使われたころは、なおさら家に他人を上げるということが「客人」としてもてなされる対象であったことがわかるであろう。軽い話や用事であれば玄関ですべて事足りたからである。客人として初めて迎え入れられるのがこの玄関を上がるという儀式でも在るのだ。

コミュニティと家主を結ぶ結界でもあり、人が客となる変化の起点ともなる玄関が、微妙で深遠な入り口であるとの言葉から由来するのもなんとなく納得が行くような気がする。

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