立場の異なる人々を結び、時には想いも馳せる

結界のタイプ

権威や立場を象徴する結界

両端の世界と、結界を形作る行為

象徴する

覗き見る

窺う

武士

商人

情緒

立場の異なる人々を結び、時には想いも馳せる

窓は古来、壁に開けられた窓あある地位以上の身分を象徴するものであった。そして採光通風による生活環境の向上とともに、社会的地位のシンボルとしても登場していったのである。

西洋の窓はデカルト的な世界観に支えられて透視図法を生み出す元となった。窓枠に入ってみれば絵の額縁であり、彼等は窓の位置で外の風景を固定しようとした。窓が建物の開口部として主流であったのだ。

一方日本では窓の中に自然科学のかわりに豊かな詩の世界を見出した。万葉集の中ではこんな歌がある。

窓ごいのつきおし照りてあしびきの 

嵐吹く夜は君をしぞ思ふ

また新古今和歌集では

深き夜の窓打つ雨に音せぬは

浮世の軒の忍ぶなりけり

と歌われる。窓を通して想いをはせ、窓がその情緒の拠り所となったのである。

しかし窓は建物の開口部としてではなく、扉、、などの建具による開口部が主流で、窓は脇役であった。では窓の役割とは何だったのであろうか。

それは「覗く」ということである。覗くのはこっそりちらりと見るのであって、眺めるのではない

窓の扉は必ずしも必要なものではない。眺めるのは蔀戸をあげるなり障子を左右に開くなりして座してゆっくり眺めれば良い。西洋の窓はそれが全ての開口部であるから人々はその窓から眺め渡すことだろうし、扉はなくてはならない。

武士や地主の長屋門にある窓は、なによりも来訪する客の種類や挙動をうかがい知ることのほうが第一の機能であった。こうした覗き見ることを持って唯一の機能とする窓は京都御所内にある櫛形の窓がそれである。櫛形窓に象徴的な意味があったのではないかと考えられる。一定の身分をもつおのの家に付けられており、一般庶民の家には見られない。社会的地位を象徴するシンボルでもあったと言える。

日本の窓は室よりむしろ中門廊の壁とか塀とか廻廊とか、あるいは居住室としては使われない等や仏道の開口として発展してきた。その後徐々に住宅の中に入っていき、平安時代には上の身分のものが、外にいる下の身分のものを一方的にうかがい知るための装置として機能した。同時に格子自体が社会的身分を象徴するためにあつかわれることになった。その後時代とともに一般庶民にも下り、商家などをはじめ、広く使われていくことになった。

うかがい知るということは、つまり外と内とでの関係性を視覚的に成り立たせることだと言える。視界を遮る範囲をコントロールすることで、この絶妙な関係を成り立たせていたのだ。覗きを伴う窓はこの身分の差や役割の差を象徴し、ときにはそこに想いを馳せた。立場の異なる人達を結びつける結界であったと言えよう。

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